安倍元総理の国葬を考える

国民の賛否が真っ二つに分かれる中、安倍元総理の国葬が執り行われました。

賛成派の主な意見は、憲政史上最長の総理であったこと、選挙応援演説中に凶弾に倒れたこと、政治家としての功績が認められること、国葬は外交に資すること、あたりであろうと思います。

一方で反対派の主な意見は、閣議決定のみで国会審議を経ていないこと、法的根拠なく多額の国費を使うこと、総理としての功績が認められないこと、旧統一教会との関係が明らかになっていないこと、でしょう。

そもそも国葬と呼んでいるにも関わらず、国民が真っ二つに割れてしまったこと、これ自体が国葬に値しない、と筆者は考えます。

国葬はその字の通り国としての葬儀であり、執り行うのであれば、国民の多くの賛同を得て、国民の多くが弔意を示すようなものであるべきで、国民の半数以上(各メディア調査によれば)が反対している中では、到底、国葬とは呼べないものと思います。

なお、実際の葬儀はご親族や近しい方々で既に執り行われており、今回行われたものは「葬儀」ではなく「お別れの会」と表現する方が適切だとの意見もあり、私もそれに同意します。

安倍元総理の功績については、人によってさまざまであるのは、ある意味で民主国家として正しい状態です。筆者個人としては、集団的自衛権が行使出来るようになったのは大きな進歩だと思う一方、アベノミクスは経済政策としては失敗であったと思っていますので、その評価は後世に委ねるべきであろうと考えています。

法的根拠なく、国会審議も経ずして実施してしまったのは、明らかに岸田政権の失敗だと考えます。

今回は執り行われてしまったので過ぎたこととしても、将来に向けて法整備と手続き、国葬とする要件などは国会で議論して定めておくべきでしょう。

個人的には旧統一教会との関係は明らかにしてほしいところです。

岸田政権は、亡くなられた方なので調査には限界があると説明していますが、元総理が自分一人だけで決定して行動していた訳はなく、周りには段取りをしたスタッフや秘書、取り巻きの政治家がいたはずで、そうした人たちに調査すれば、安倍元総理と旧統一教会との関係はある程度明らかになるのは確実であるにも関わらず、調査を放棄したのは、問題だと考えます。

いずれにしても、政府には今回国民を分断してしまったことを大いに反省し、二度とこのようなことのないよう考えて頂きたいと思います。