世界史では、国の定義もその版図も頻繁に変わる為、何を以って「◯◯国の歴史」とするのか難しい事例が多々あります。
典型的なのは中国史です。
そもそも「中国」、即ち「中華人民共和国」の歴史は1949年に毛沢東が天安門で建国を宣言してから始まっていますが、「中国史」と言えば新中国成立前の数千年前に遡るのが一般的です。
然し、仮に「中国=漢民族の国」と定義した場合、実は中国史と言われている歴史の大半は対象外になってしまいます。純粋な漢民族国家だったのは、周・漢・魏・宋・明・中華民国、くらいで他は異民族による征服王朝です。中国史が特徴的なのは、異民族が所謂「中華世界」を支配すると、漢民族式の国家機構や文化を受け継いでいくという点で、広義の「中国」が綿々と受け継がれてきた、という点でしょう。
とはいえモンゴル人からすれば元場合モンゴル史の一部でしょうし、日本で有名な広開土王碑は現在は中国遼寧省に位置していますが、北朝鮮・韓国からすれば紛れもなく朝鮮史です。
翻って我が国の歴史ですが、日本史は紛れも無く一つだけしか無い、と思っている方も少なくないかと思いますが、実はそんなことはありません。
北海道や沖縄の歴史は所謂「日本史」の外にあるというのは直ぐにお判り頂けるかと思いますが、実は本州の中にも複数の日本史が存在しています。
古代史で言えば「出雲国譲り」。神話ではありますが、恐らく出雲地方にあった土着政権を大和政権が統合した歴史が反映されているものと推測し得ます。つまり、出雲から見れば今の日本史は征服王朝の歴史です。
坂上田村麻呂による陸奥国遠征も、東北地方史からすれば大和政権による侵略史ですし、平将門の乱も大和政権に対する坂東独立の動きだと捉える事が出来ます。
そういう観点から日本史を再検証してみると、学校で習ってきた「正史」とは違った日本の歴史が見えてくるのではないでしょうか。