永井路子先生の作品は、歴史的事実を踏まえながらも、従来の歴史作家には欠けていた「女性」や「脇役」の目線から歴史の真実を抉り出した秀作揃いですが、本作はその中でも最高傑作の一つだと思います。
鎌倉時代の黎明期を、歴史的には全く有名ではない異なる人物の目線から描いた、4本の短編集にして1つの作品という独特の構成になっています。
私たちは兎角「歴史」といえば「教科書に書いてあるメインストーリー」「中心人物の視点から描かれた歴史小説」的な観点でしか捉えることが出来ないでいます。
然し実際の歴史とは、より多面的なものです。
例えば私たちにとって馴染み深い筈の「日本史」ですら、当時の中央政権からの目線から書かれた「多くの歴史の見方の一つ」に過ぎません。
少し目線を外してみれば、中央政権と対立する側である地方政権から見た「日本史」は、我々の馴染んでいるものとは全く異なるものであることを容易に知ることが出来ます。
この「炎環」では、敢えて歴史的にはマイナーな人物の視点から描くことで、より一層「歴史の多面性」を浮かび上がらせると同時に、永井路子氏ならではの深い歴史への造詣と巧みな文体によって、読む者をそれぞれの主人公の目線に完全に引き寄せることで、歴史の必然性、すなわち、夫々の人物が夫々に考えた結果として、誰もが予想し得ない方向に歴史が流れて行ってしまうその虚しさのようなものを、天才的に描いています。
作者自身がその「あとがき」において以下のように述べています。
「(前略)この4編は、それぞれ長編の一章でもなく、独立した短編でもありません。一台の馬車につけられた数頭の馬が、思い思いの方向に車を引張ろうとするように、一人一人が主役のつもりでひしめきあい傷つけあううちに、いつの間にか流れが変えられてゆく - そうした歴史というものを描くための一つの試みとして、こんな形をとってみました」
将に作者の意図通り、読者が惹き付けられてしまう名作だと思います。
尚、私は浅学にして、読後に解説を読み初めて本作品が直木賞受賞作であることを知りましたが、十分それに値する名作です。
歴史を好きな人、そうでもない人、にかかわらず、歴史の多面性と、意図せざるして流れる歴史の面白さに触れることのできる作品であり、文学作品としてのみならず「考えさせられる一冊」としてお勧めです。