東日本大震災から9年。「多くの被災地が未だ復興していない」と言った報道も多く目にします。
例えば高台移転。
津波に飲み込まれた集落を近くの高台に復興しようとするプロジェクトは、然し土地の確保や造成に時間が掛かり、9年の間に新たな場所に移り住んでしまった人も少なからずおられた結果、出来上がった高台新集落に住んだのはごく僅か=復興出来ていない、という番組や記事を幾つか見ました。
然し果たして何を以って「復興」と言うべきなのでしょう。
震災に関わらず、少子高齢化と人口減少で日本各地で急速な過疎化が進行しています。敢えて冷たい言い方をすれば、被災地の多くは、喩え津波に襲われなかったとしても十数年後の人口は震災前の半分以下になっていたところが多いものと思います。
そう考えれば、ご批判を承知で申し上げますが、高台新集落に人が戻ってこないのは必然で、その時間軸が震災で数十年前倒しになったに過ぎない、とも言えます。
大事なことは「震災前に戻す」ことでは無いのでは、と私は思います。元より未曾有の大災害である以上、元に戻すこと自体が相当に困難です。
従って発想を前向きに転換し、元々想定されていた過疎化にどう向き合うか、という視点で考えてみれば、コンパクトシティ化を進めるしかないと感じます。
小規模な集落単位では何れ上下水道等のインフラ維持すらままならず、経済合理性的にも安定して長期的な商売が成り立つ可能性は、特殊な産業でもない限り殆ど有り得ません。
恐らく数少ない打てる手だった外国人インバウンド需要の取り込みも、今回の新型コロナウィルスでその脆さ合唱露呈しました。
であればこそ、災害を(適切な表現ではないかも知れませんが)敢えてコンパクトシティ推進のチャンスと捉え、個々の小集落は消滅しても、より大きな地方都市に集まって地方の生き残りを図るのが現実的な対応では無いでしょうか。
故郷を失った方からすれば、そんなのあり得ない、元の生活を取り戻したい、というお気持ちなのは当然で、仮定の話は不適切では有りますが、仮に私が当事者だったら、同じような主張をしていたかもしれません。
それでも、未来の子供たちのために、私たちは一歩でも前に進まなければなりません。「元に戻す」ことは、その瞬間では前に進んだように見えますが、実際にはそこから緩やかに、然し確実に、過疎化への道を進むことになります。
今一度、何を以て「復興」と呼ぶのか、立ち止まって考えてみても良い、と震災関連の番組や記事を見ていて感じました。