終戦の日に考える

今年も終戦の日がやって来ました。

実は8月15日を終戦記念日としているのは日本くらいなもので、国際的にはミズーリ号で降伏文書に調印した9月2日、中華圏ではそれを踏まえた翌3日を抗日戦争勝利記念日としています。

とはいえ日本人の心情的には、玉音放送で国民に敗戦を知らしめた8月15日が終戦記念日、というのは揺るがないかなと思います(北方領土問題はこの終戦記念日の捩れが一因ではありますが)。

あの世界大戦終結からはや74年。

その後、地域紛争はありつつも、世界大戦にまでは発展しないよう、人類は様々な知恵を絞って来ました。

戦争とは詰まる所、我と我、欲と欲、のぶつかり合いです。致命的な対立を回避するには、お互いに何処かを譲り合い、妥協し合わなくてはなりません。

然し今世界では、それが成り立たなくなりつつあります。

自国ファーストを掲げて国際協調の枠組みから次々と離脱する国。

自国の権益圏を拡大しようと世界にお金をばら撒く国。

二国間で合意済の決定事項を一方的に破棄する国。

国際制裁を無視してミサイルを撃ちまくる国。

他国の船を拿捕したり攻撃したりする国。

地域連合体から、国民投票という最も民主的と思われた手法の結果、離脱する国。

人類が長い歴史の中で漸く勝ち取って来た、自由・平等・民主、と言った、ついこの間までは(少なくとも先進国においては)普遍の価値観だと思われていたことすら、世界各地で覆されつつあります。

「逃亡犯条例」に端を発した香港の民主運動では、かの名作「Les Misérables」の「民衆の歌(語) A la volonté du peuple(英語)Do You Hear the People Sing?が歌われています。

この歌は、フランス7月王政打倒のたパリ市民が1832年6月に蜂起し、政府軍と衝突する場面で歌われる歌です。

それから約200年を経た今、再び「民衆の歌」を歌いながら民衆が権力に立ち上がるような時代が来ようとは。然も(失礼乍ら)お金が全てのような価値観、何かあれば海外脱出すれば良い、という人達が多いと思われていた、あの香港で。

上皇様はご退位される前の最後の記者会見で「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」とのお言葉を述べられました。

令和もそういう時代であって欲しい。然し実は徐々に開戦に向かっているのではないか、そう思えてならない終戦記念日です。