敢えて問う、宗教の危険性

ニュージーランドでまたもや悲しい事件が起こってしまいました。

未だ背景等不明点が多いですが、今のところ、白人至上主義者によるイスラム移民排斥が目的だとみられています。

宗教で人を差別してはいけない、と言うのは簡単です。

然し現実的には、日本でも大量の異教徒がたむろしていれば、怖い、何かするのでは、と恐怖心を感じる日本人の方がまだまだ多数ではないかと思います。

日本人の多くは緩やかな日本神道の信徒だと言えますが、実は日本人の宗教観は世界的に見ればかなり特殊です。

大半の宗教では、神様は我々を救ってくれるもの、となっていますが、日本神道の神様は基本的には救ってくれません。私たちが神様をお祀りするのは、まったく逆で、「祟らないで」「悪さをしないで」と祈っているのです。

故に、他国ではまず有り得ないことですが、日本では恨みを持って亡くなった人であれば、例え敵方であろうともお祀りすることが少なくありません。

おそらくこの考え方は世界的にみれば相当に特殊です。然し私たちはその特殊な「日本の常識」に捕らわれてしまっているので、宗教に対する警戒心が薄いのではないか、と思います。

9.11以降、アメリカではムスリムだというだけで、もっと言えば見た目がムスリムっぽいだけで警戒する人が増えたという事実があります。これに対して「差別するな」というのは簡単ですが、実際に私たち自身が同じ立場に置かれた際、「差別するな」で解決できるのでしょうか。

キリスト教もかつては「十字軍」という名の下に侵略を繰り返しましたし、我が国に布教に来たのも純粋な宗教的理由のみではなく、貿易相手開拓の先鞭という側面がありました。然し、今のキリスト教にはそうした側面がないからこそ、「キリスト教は危ない」という人は殆どいないものと思います。

イスラム教それ自身が危険な宗教だとは私は思いませんが、然し現実的に壊滅的な行動を起こす狂信的なイスラム教徒が存在している以上、まずはイスラム教徒自身がそうした人たちを説得すべき、それが出来ないのであれば、イスラム教徒の中には危険な人がいると非イスラム教徒から見做されても仕方ない部分もある、とも感じます。

繰り返しますが、私は宗教的な差別は絶対に良くないと思います。然しそういう差別をする人が生まれてしまう土壌があることは否定できない、そう感じます。