働かない中高年だけが悪いのか?

最近、働かない中高年を会社のお荷物として批判し、同一労働同一賃金の名の下で給与カットが当然、と言った風潮が高まっています。

私は所謂「バブル採用」世代として大量採用された中の一人ですが、入社後に不景気が訪れて転職もままならないまま大卒で入社した会社に勤務すること約30年、50歳代で会社規定により役職定年を迎えて給与がカットされました。

自分ではそれでも頑張ろうと思ってはいるものの、それなりにやる気を削がれてしまっていることは間違いなく、恐らく若い社員から見れば「働かない中高年」の一人に見えていることでしょう。

然し、働かない中高年にも言い分はあります。

最も不条理を感じるのは、会社員人生のトータルバランスを一方的に崩されたこと、です。

私のようなバブル採用世代は、「24時間働けますか」がCMで流れていた時代に会社に入りました。

当時、働き方改革などあろうはずも無く、朝は定時より一時間以上前に出社し、夜は毎日時刻表と睨めっこして終電で帰宅するのが当たり前。週末も代休を取ることもなく、仕事があれば当然のように会社に来ていました。

今で言う過労死ラインなど遥かに上回る残業をしながらも、残業申請は36協定で定めた時間までしか付けてはいけないのが暗黙のルールでした。

一度だけ労働基準監督局の検査を受け、少なくとも記録として残業していたことが明らかな分だけは数ヶ月遡って請求せよ、と言われて残業申請したら、ボーナスくらいの追加残業代が支払われ、自分はこんなにもサービス残業していたのか、と初めて自覚したことを思い出します。

記録に残っている分だけでもそんな額になったので、記録では確認出来ない残業も全て含めれば、相当な額になったことは間違いありません。ピーク時は毎月200時間くらいはサービス残業していましたから、仮に時給が少なく見積もって1千円だったとしても20万円以上は会社に無償奉仕してきたことになります。実際の時給はもっと高かったと思うので、深夜残業や休日割増も含めれば、実際にはもっと多い金額でしょう。

それでも若い頃は、窓際でボーッとしている中高年を見ていて、自分もいずれ今のサービス残業を取り返せる時が来るだろう、そう思っていました。

ところがいざ自分が中高年になってみると、働かない中高年は給与がカットすることになり、若い頃のタダ働きの回収をする機会が奪われました。若い頃のサービス残業など最早時効で今更会社に請求出来る訳もなく、泣き寝入りするしかありません。

恐らく私のように不条理を感じている中高年は他にもおられるのではないでしょうか。

そもそも働かない、と言っても、働く気力はあるもののバブル採用世代が多すぎて中高年に与えられる仕事量が無いので、結果として、働かないというより働けない中高年も多くおられると思います。

然し、こうした我々、働かない中高年の声は誰も拾ってはくれません。

今一度問いたい。

悪いのは働かない中高年ではなく、そんな中高年を産み出してきた会社ではないのか?と。