日本企業の生産性は低い、とよく言われています。
確かに自らの仕事を振り返っても、思い当たることが無くはありません。
結論を出さない開催が目的化した会議、そしてその会議のための資料作り、などは典型的な生産性を下げている職務です。
然し面白いのは、生産性を上げろと言いつつ、そもそも生産性とは何か?をきちんと定義していない点です。
非常にシンプルな説明では、投下された労働力に対する成果、となっていますが、そもそもこの「成果」が曖昧。
工場に投下された労働力と原材料に対する製品の生産量、のような分かり易いケースは兎も角、普通の会社員の成果は千差万別で、ましてや例えば調査研究職や総務経理職などは成果を測るのはなかなか難しいでしょう。
ところが多くの企業ではその定義付けをしないままに生産性向上を唱えるので、結果、単なる残業削減や経費節減という、「成果」にはタッチせずに投下されるコストを削る手法を取ってしまいます。
然しその結果、実は「成果」も落ちてしまい、生産性が変わらない、下手すると低下していた、などという笑えない事が起こります。
典型例はペーパーレス化。
確かに書類を保管する倉庫スペースを削る効果はあるでしょうが、パソコンをズラッと並べたペーパーレス会議で、実は参加者個々人が自分の分をアウトプットして紙にメモを取ったりするのは、日本の会社ではよく見る光景では無いでしょうか。
そもそもペーパーレス自体で削減される紙代は幾らで、ペーパーレスに費やされるコストは幾らか、という比較すらしないでペーパーレスを導入しようとしたりします。
これが如何にも日本的で、実際の費用対効果よりも、ペーパーレスを導入した、という事実を以って何かを成し遂げた気になってしまっています。
生産性向上は、コスト削減などと言う前に、そうした日本人気質から変えないと変わらない、と感じています。