朝日新聞の青木記者異動問題について考える。

朝日新聞で原発問題を追い続けてきた青木美希記者が、この4月より「記事審査室」に配置転換されることが話題になっています。

一部報道によれば、同室はデスクや部長などを勤めた人が定年間際に所属し、自社の記事を論評する部署であり、40代半ばでこの人事異動は異例とのことで、原発事故に切り込みすぎた懲罰人事では無いか、との疑問が呈されています。

これに対し朝日新聞は本人に、若い人や女性を増やしたいと説明したとのこと(メディアの取材には、個別の人事異動には回答しないとのこと)。

ネットでは多くの人がこの人事異動を不当だと訴えていますが、私はそうした声にやや違和感を覚えています。

私自身、40歳代半ばを過ぎた頃、突然、監査部への異動を命じられました。一貫して海外畑を歩んできた身にとって、正に青天の霹靂です。

当時、監査部は社内的には「準定年の上がりポスト」「社内規則違反者の預かり場所」「心身を病んだ社員のリハビリ部署」というイメージで、実際、そうした人が一定数を占めていました。

人事異動を見た周囲の人たちからも、「お前、何かやったのか?」「身体を壊したのか?」などと聞かれたものです。

全くの想像ですが、私は歯に絹着せぬ物言いをするタイプだったので、監査部に異動する直前の上司から煙たがられていたこと、がこの異動の背景なのでは無いか、と思っています。

然しその後、監査部で仕事をしている中で、色々と思い直すことが増えてきました。

先ず、監査部の仕事それ自体は極めて重要であるということ。日本では監査人の地位が低いですが、国際的に見れば監査人は高給取りのプロフェッショナルです。企業が健全に運営されていく上で、監査は無くてはならない存在です。

また、仮に会社の人事が気に入らなければ、会社を辞めて自分で動くべき、その選択肢は自分にある、とも思いました。

故に今回の青木記者の人事異動について、私は以下のように感じています。

①大企業のサラリーマンであれば、入社時に「何でもやる」ことが前提の労働契約になっている筈で、会社が決めた配置が気に入らないなら辞めるしかない。

②そもそも大企業に所属しているサラリーマン記者であれば、必ずどこかに限界がある。自由に記事が書きたいならばフリーになるべき。

③記事審査室という部署は上がりのポストなのかもしれないが、デスクや部長経験者と同じ仕事が出来るのは良い経験ではないか。

④自社の記事を講評するというのは新聞社にとって重要な仕事では無いのか?

青木記者の新しい処遇詳細を存じ上げませんが、会社の配置転換が気に入らないとゴネていても仕方ない、それよりも前向きに自分が何を出来るのかを考えた方が建設的だ、と私自身の経験に照らして感じています。