5月3日は憲法記念日。毎年、この時期には改憲と護憲に関する番組も多くなります。
憲法記念日とは、1947年5月3日に日本国憲法が施行されたことを記念し、1948年に公布・施行された祝日法によって制定された祝日です。
今年は2022年。日本国憲法施行から75年もの歳月が流れています。
どんなに立派な法律であっても、3四半世紀も経てば陳腐化する部分があるのは当たり前です。ましてや第二次世界大戦以降、世界秩序は大きく変わり、ITなどの技術も進歩し、様々な権利や義務の概念も新たに生まれていますので、「憲法は一文字たりとも変えてはならぬ」という考え方は明らかに誤りです。憲法は聖書でもコーランでも仏典でもありません。
それでは憲法のどこを修正すべきか、については、多くの意見が飛び交っており、日本国民としてのコンセンサスはなかなか得られていないのが現状です。そこまで議論すらされていないかもしれません。
そんな中で、私が真っ先に改正すべきだと考えている部分、それは憲法の「前文」です。
この中には非常に多くの問題が含まれています。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」
日本国が平和の保持を決意する前提として、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」が掲げられていますが、残念乍ら今現在、国連安保理常任理事国という、国際社会において最も平和を実現すべき国の一つであるロシアが、一方的にウクライナを侵略しています。
そして隣国である北朝鮮は頻繁に日本近海に向けたミサイル実験を繰り返しています。
誰がどう見ても世界の、そして日本を取り巻く環境は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」できる状況にはなく、従って自ずとそれを前提とした憲法前文の前提自体が崩壊していることになります。
「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において」
日本国憲法前文では更に国際社会は先生と隷従、圧迫と偏狭を永遠に除去しようと努めていることを前提としてますが、今現在、隣国中国では個人の人権よりも国家の利益を優先する国家運営が行われています。
ロシアのように力づくで他国を従わせようとする大国もあります。
憲法が前提とするような「国際社会」は現時点で存在していないことは明確です。
「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて」
最後にこの一節ですが、我が国は戦後、憲法九条を理由に他国の戦争には一切関与しない「一国平和主義」を貫いてきました。今回のウクライナ侵略のような、明らかに一方的な侵略戦争であったとしても、軍事的な支援は憲法九条の定めによって一切行えていません。
この今の我が国の現状こそ、憲法前文の禁じている「自国のことのみに専念して他国を無視」に他ならないように私には思えます。憲法は既に前文と九条の間に大きな矛盾を抱えているのではないでしょうか。
憲法改正の議論では、あまり語られていませんが、是非とも前文の妥当性から確りとした議論が行われることを期待したいと思います。