捕鯨について考える

私は鯨を食べるのが好きで、関東屈指の捕鯨基地である南房総エリアで鯨料理を見かけるとついつい頼んでしまいますが、家内は「美味しくない」と敬遠します。

おそらく、なんでわざわざ鯨なんて美味しくないものを食べるの?という家内の感覚の方が日本人の平均値ではないか、と思います。

その観点から言えば、おそらく捕鯨をやめてしまっても日本人の食生活はもちろん、食文化にももはや殆ど影響はなく、「捕鯨は日本文化だ」という主張は、現在ではあまり説得力がありません。

それでも私は捕鯨は続けていくべきと考えています。

理由は2点。

一つ目は、海産資源の保護です。

鯨はあの巨体を維持する為に大量の魚を餌として捕食する必要があります。水産庁によれば、体長7.5mのみんくくじらの摂餌量は、北太平洋では1日当たり131~186kgと推定されるそうです。

従って、鯨の数を観察し、必要に応じて「間引く」ことをしてかないと、それ以外の海産資源に深刻な影響を与える可能性があるということです。

二点目は、現在の捕鯨反対運動には「人種差別・民族差別」の香りがするということです。

私はダイビングもやりますので、鯨(にダイビング中に出会ったことはありませんが)やイルカが賢く可愛い動物だということは十分理解しているつもりです。然し食材であるという感覚も併せ持つことができます。

「賢くてかわいい鯨やイルカを捕るな」という捕鯨反対者の論調は、逆に言えば「賢くなくてかわいくない動物なら撮っていいのか?」という議論にもなり、ほとんど意味がありません。

結局、自分たちは食べないので、食べる民族や野蛮で許せない、という感情論に基づいているようにしか思えません。

捕鯨は科学的に管理されつつ行っていく必要があり、感情論であってはならないでしょう。