中国は何処へ行くのか(1)

急速に発展する中国に対し、もう何十年も「崩壊する」という論説が出ている一方で、「中国崩壊論は崩壊する」という論説もあります。

私自身が中国に長年駐在して感じたところを、実体験も交えながら書いていきたいと思います。

「米中貿易摩擦」が激しさを増していますが、この対立は実際には「貿易摩擦」などではなく、その根底にあるのは「価値観の対立」です。

人類が長い歴史の中で勝ち取ってきた、少なくとも今までの先進国では人類の普遍的価値であると信じられていた「自由」と「民主主義」、然し中国という巨大な国家は、この普遍的価値を否定した上で発展を続けています。

米国に限らず、当初は中国ビジネスの経済メリットを優先していた欧州やアジアの諸国も、最近になって漸くこのリスクに気づきつつあります。

一方で、中国に実際に暮らしてみて、西洋的自由と民主主義など尊重していては、あの巨大な国は維持できない、と感じます。

中国各地を仕事や旅行で訪れましたが、そこで感じたのはそもそも「中国」と括ってしまうことへの違和感です。

同じ漢民族が住民の大半を占める直轄市の北京、上海、天津、重慶ですら、言葉も文化も異なります。

ましてやチベット自治区や新疆ウイグル自治区、内モンゴル自治区となると、誤解を恐れず率直に言えば、完全に別の国です。

中国へのビジネス展開でよく言われる言葉は「中国はEUのようなもので、実際には多くの国の集合体」というもの。

「中国で〇〇を販売する」という戦略は間違いで、同じ商品でも北京では売れても広州では売れない、等、地域差が非常に大きいのが「中国」です。

この実情を見れば見るほど、中国を一つの「国家」として維持する為には、自由と民主主義など優先出来る筈もありません。

この「中国」の現状については、我々外部の人間が口出しするべきことではなく、中国人自身がそれで良いと思っている限りは、それで良いということなのだと思います。

然しこの「中国人」という概念自体も上述の「中国」と同じ状況にあるのが、中国という国をより複雑にしています。

中国では漢民族以外にも55の少数民族が認定されていますが(学術的にはこの民族分類には違和感もありますが)、特にウイグル族やチベット族、モンゴル族、朝鮮族などは、人口も多く居住地も集中していますので、「中国人」と単純化して語ることは出来ません。

今後、中国が何処へ行くのか、は、そうした少数民族も含めた「中国人」自身が考え、決めていくしかありません。

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