中高年以上の世代は「一億総中流」と言われて生きてきたので、「日本は先進国で最も貧しい国」と言われても「そんな訳ないだろう!」と声を荒げたくなるかもしれません。
かくいう私も3年前にNHKが貧困女子高生を報じた際、「この程度は貧困とは言わないのでは?世界的には生きるのが精一杯の人がいる、それこそが貧困。家にエアコンもあって娯楽も楽しんでいるなんて貧困ではない!」と思い込んでいました。
当時から「絶対的貧困」、即ち生きること自体に苦労する貧困と、周囲と同等の暮らしが出来ない「相対的貧困」という2つの概念があり、NHKが取り上げた学生は飽く迄「相対的貧困」であることは理解していましたが、それでも「十分に普通の暮らしが出来ているのだから、これを貧困と呼ぶのは報道が煽っているだけだ」と思っていました。
然し、その後いろいろと調べてみると、日本の「相対的貧困」の実態が相当に深刻だということが判ってきました。
厚生労働省が発表している「平成28年 国民生活基礎調査の概況」によれば、「子どもの貧困率」は13.9%、なんと人に1人が貧困状態だそうです。
外見的には普通の生活を送れているように見えても、貧困を理由に病院に行くのを躊躇う、進学出来ない、修学旅行にも行けない、給食費が払えない、といった子供が増えています。
こんな状態になってしまった理由は極めてシンプルで、所得が落ちているから。そして、本来は子どもが平等に受けられて然るべき教育などが、ニッポンではほぼ全額自己負担となっているから。
他の国と比べても「一発逆転」が難しいニッポンでこの状態が続けばどうなるかというと、貧しい家庭から生まれた子はより貧しくなる、という負の連鎖が延々と続くことになります。
ニッポンにはびこる「自己責任論」も「相対的貧困」が改善しない一因です。貧しいのは本人の努力が足りないから、という発想。
然し本当にそうなのでしょうか?
昨今、世界で突き進みつつあるポピュリズム。こうした「相対的貧困」を放置し続ければ、何れ日本でも同じような状態に陥る懸念が極めて大きいと感じます。
相対的貧困に陥った子供たちにも将来の夢が描けるような国にすること、それこそが今、ニッポンには求められています。