表現の自由は無制限ではない。

愛知県で開催されている国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」にて、慰安婦を表現した少女像が展示されていたことに批判が殺到し、展示が中止となったそうです。

芸術監督を務める津田大介さんは「表現の自由が相当制限されてきた公共施設で、行政と作家が協議し、自己規制や検閲なしに展示できる実例を示したかった」と説明していますが、この津田さんの考え方には全く賛同出来ません。

「公共施設」はその名の通り「公共」の為に利用が許されるべき場所であるべきであって、我が国の基本方針に全く反するような内容を「公共施設」に展示するのは不適切です。且つ、それを以って表現の自由の侵害だとするのは全く的外れであり、そうした展示をされたい方は、私設の場所で行うべきで、その自由は保障されています。

今回は慰安婦少女像が問題となりましたが、全く逆に特定の国を批判する展示会も、やはり公共の施設には不適切であろうと思います。

当たり前ですが表現の自由は無制限ではありません。誰かが自由を推し進めた結果として他の方の自由を侵害する懸念があるのであれば、どこかでバランスを取らなければならないからです。

その際に「公共」というのは一つの判断基準になります。

以前、学校行事で「君が代」を歌わない、起立しない教師が処分されたことがありましたが、「公立学校に勤務する公務員」としての教師であれば、国歌である「君が代」に敬意を表しないことで処分されても仕方ありません。逆に私立学校の職員の教師であれば、歌おうが歌うまいが、それは個人の自由です。

そういう意味でも、今回の件は「公共の施設」であって点が最大のポイントであり、この点を忘れて「表現の自由の侵害」とするのは明らかな誤りです。