そろそろ「自粛要請」という中途半端な指示はやめよう。

埼玉県からの度重なる自粛要請に反して、埼玉スーパーアリーナでK1グランプリが開催されたことについて、ネット上で賛否両論が出ています。

以前にも書きましたが、開催する場合、しない場合、どちらの意見にも一理あり、簡単に「正解」が出せるものではありません。

こんな時に最もよろしく無いのは「人心が荒れること」であり、「人と人との対立が深まること」だと私は思っています。

またそれ故に冷静で客観的な判断が飛んでしまうことも少なからずありますので、常に自らがそうならないよう気を付けねばならない、とも感じます。

私の知る音楽関係者の中には「満員電車は制限されていないのに、コンサートの開催が許容されないのは理解出来ない」と言った意見も見られます。

然し少し冷静に考えれば、満員電車とコンサートは、喩え感染リスクという観点では同じあっても、本質は全く異なります。

イベントなどを自粛するかどうかを決めるのは、その行為の責任者、つまり万一、感染拡大源となった場合にその責任を引き受ける人・組織ですが、満員電車にはその責任者が存在しません。敢えて言えば運行している鉄道会社かもしれませんが、流石に感染防止強硬派でも、公共交通機関を止めろ、とまでは、現時点では主張しないでしょう。

つまり満員電車については、リスクはあるものの、誰も責任を取らないので放置されているものだと思います。

一方で、コンサートやイベントには必ず主催者がいますし、それが開催される会場にも管理責任者がいます。何かあれば、責任を負う人が明確になっているので、その人が開催によるコロナ拡散リスクを取れないと思えば中止・延期にするでしょうし、万一クラスター頑張ります発生しても全責任は私が負うと考えていれば、開催することになります。

故に、喩え感染リスクが同じだと仮定しても、責任者いない満員電車と、責任者が明確なコンサート・イベントを横に並べて論じても殆ど意味は無いものと思います。

とは言え、こうした意見が出てしまうことの根幹は、日本国政府の「自粛要請」という中途半端な指示にあります。そもそも「自粛」とは「自ら進んで慎むこと」、「要請」とは「強く求めること」であって、言葉それ自体に矛盾があります。

日本も他国同様に、リスクがあると思えば強硬な政府命令を出すべきだし、出さないということはリスクが低いという判断なので、中途半端な自粛要請を出さない、とした方が、開催する側・中止や延期する側、双方が罵り合いをするような自体を回避し得るのではないでしょうか。

結局、それをする責任を取りたく無い政治家の「逃げ」が、足元のような「人心が荒れる」一因となっているように、私には感じられます。