日本列島の広範囲に亘り未曾有の被害をもたらした台風19号。
各地で河川の氾濫が相次いだ中、「坂東太郎」とも呼ばれる日本有数の暴れ川、利根川の水系では幸いにも被害は限定的でした。
これについて、旧民主党政権が2009年に計画を中止し11年に再び事業の継続が決まった群馬県の八ッ場ダムがあったからこそだ、との声が相次いでおり、安倍総理も参院予算委員会において、
「財政的な負担は国民が何世代にもわたって対応していかなければならないが、同時に後世の人たちの命を救うことにもなる」
と述べ、八ッ場ダムの効果である旨を説明しています。
一方、八ッ場ダム建設に一貫して反対してきた団体のホームページには、台風の通過した翌13日には早々と、
「利根川中流部の水位は確かにかなり上昇しましたが、決壊寸前という危機的な状況ではありませんでした。」
「今回の台風では、八ッ場ダムの洪水貯留がなく、水位が多少上がったとしても、利根川が氾濫することは考えられませんでした。」
と、利根川が氾濫しなかったのは八ッ場ダムの効果では無いと反論しています。
八ッ場ダムの効果については色々な意見があるものの、効果を全否定している人は少数派で、否定派であっても、
「たまたま試験運転段階で貯水量が少なかったことから、多くの水を貯水出来ただけだ」
と言った意見が主流派な中、こうした反対派の意見は流石に突出感は否めません。
最終的な結論は科学的根拠に基づく合理的な分析に任せるべきであり、その前段階に憶測や類推であるべき論を語るのは意味がなく、寧ろデマを広げるだけの行為です。
この八ッ場ダムの反対派のように、拙速に一見それらしいデータを示して全否定するのは、どう見ても先に結論ありきであって問題があると感じます。
こうした構造は、八ッ場ダムに限らずあらゆる議論で散見されます。
改憲議論では、護憲派は「憲法九条を改正したら戦争になる」と主張しますが、その論拠に合理的な説明はありません。
辺野古移設についても、米軍による抑止効果には完全に目を瞑って「基地は出て行け」としか唱えないようでは、全く議論が進まないでしょう。
意見が対立した際には、双方のメリット・デメリット、プロ・コンを、客観的で合理的な論拠やデータに基づき議論するべき、という至極当たり前のことが出来ていません。
今後、更に未曾有の自然災害や、近隣諸国の軍事的脅威が増す中、建設的で意味のある議論を期待したいところです。